23年間勤務した松江松下電器(松下電器のグループ会社:現在のパナソニックエレクトロニックデバイス松江)を2004年の8月に退職し、マンガ・イラスト作画専門店「ヨシトモ工房」を立ち上げました。
「ヨシトモ」工房のヨシトモは私の名前、錦織 由朋(にしこおり よしとも)からつけました。
在職中は、技術部門で電子部品の電極材料を開発,合理化する、というもので「真空蒸着」「コーティング」という技術に関わっていました。
壁にぶち当たることはしょっちゅうで、実験や製造ラインで発生する不思議な現象を仲間でワイワイ議論しながら解決策をさぐるという、苦しいけれど楽しい仕事でした。
しかし、子供のころからの夢が忘れられず、どうしても1度は"マンガ"に関わる仕事がしてみたい"という単純な理由でSOHOに踏み出してしまいました。
会社にいたころは、よく労働組合のレポートにカットを描いていました。ひとの目に触れるということではそれがスタートだったと思います。
約4年前、会社で「酸素富化膜」という画期的な製品が開発されました。
これは、その膜に空気を通過させると出口側より酸素濃度が通常より高くなって出てくるという不思議な膜で、酸素ボンベなどなくても、その膜と小さいポンプがあれば、高濃度の酸素が得られるという業界の注目を集めた新製品でした。
それを応用して、松下電器から酸素エアチャージャー、酸素エアコンなどの酸素商品がつぎつぎと発売されています。
当時、松江松下では、次の酸素富化膜の応用商品を提案すべく営業活動が盛んにおこなわれるようになりました。そんな中、私のマンガが上司の目にとまり、「販促資料として応用商品をマンガにして!」との依頼がくるようになりました。
最初は手描きでスタートし、次はペン画にパソコンで着色。。すこしづつテクニック向上に対する意欲が高まっていきました。
私のマンガを持ってお客様のところに行った方から「よかった。マンガがあって助かった」などのお褒めの言葉に、「ああ、自分が描いたものが役にたった。」と達成感が感じられました。
この達成感が会社をやめてマンガを描こうと思ったきっかけでした。
現在、松江市の自宅を事務所としてがんばっております。
会社は私ひとりですが、松江情報センターのみなさん、印刷会社のみなさん、また友人たちに支えられ、すこしづつネットワークが広がってきています。
現在は、名刺商品、キャラクターデザイン、レンタルサーバーの3商品ですが、将来的にはいろいろなマンガ商品が販売できるよう、絵の技術を高めるよう日々勉強しております。
まだまだ力不足な点、いたらない点などあろうかとおもいますが、ご愛顧のほどよろしくおねがいします。
この度は、アクセスありがとうございました。
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松江松下電器 在職中に描いた販売促進用のマンガ
これらのイラストは現在、松下電器のホームページの中の酸素富化膜のアプリケーションで掲載されています。
また、本ホームページへの掲載に際しては、パナソニックエレクトロニックデバイス株式会社様の掲載許可をいただいております。
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