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コピックってわかりますか?コミック用のマーカーの名前です。
これをつかって、以前、音楽のバックにスライドショーをつくったことがありました。
今回、絵の部分だけを紙芝居風に編集しました。
コーヒーでも飲みながらご覧ください。

安来節家元
初代おいとさん物語
安来節の家元、初代渡部お糸さんのサクセスストーリー
むかし、安来という小さな町がありました。(現在の島根県安来市)

海岸近くのこの静かな町で、おいとさんは生まれました。
  おいとさんの家族は6人家族。芸能一家だったのです。

でも、とっても貧乏だったので、おいとさんは、ほうこうにいくことになりました。

  けんめいに働くおいとさんです。
よいしょ!よいしょ!
おいとさんは重い荷物をおして、いっしょうけんめいがんばりました。

来る日も来る日もいっしょうけんめいはたらきました。

それでも、おいとさんはへこたれませんでした。


「おいとちゃん!あんた、歌うまいね。」
先輩のおねえさんにほめられました。

先輩は、おいとさんの歌のセンスを見抜きました。

「私も歌にはちょっとうるさいんだ!・・・そうだ、やすぎ節をおしえてあげるよ!」

おいとさんは、昼やすみにやすぎ節をおしえてもらうことにしました。
素質のあるおいとさんのやすぎ節はどんどん上達しました。


とある料亭・・・・

おいとさんのやすぎ節は、たちまち地元に広まりました。

そして、たびたび、宴会の席によばれるようになりました。
おいとさんの歌が始まると、宴会はおおいに盛り上がり、たのしい空気につつまれました。

みんな、おおよろこびでした。

みんなの楽しそうな様子を見て、おいとさんも幸せな気持になりました。  
おいとさんは、決心をしました。
「私の歌で、みんなを幸せにできるかもしれない・・・そうだ!この、やすぎ節を全国にひろめよう!」

おいとさん、全国巡業に出発しました。

全国巡業は、たいへんきびしいものでした。
いつもきれいな舞台が用意されているわけではなく、街頭で歌うこともしばしばでした。

ある日、街頭で歌っていると雨がふってきました。
「・・・ああ、こんな日は、だれも聞いてくれるわけがない・・・」

・・・歌い終わったとき、雨音にまじって拍手が聞こえてきました。

かさもささずに、おいとさんの歌を聴いてくれた人たちがいたのです。

みんな、おいとさんのうわさを聞いて、歌を聞きに来てくれた人たちでした。

うれしくて、涙がこぼれたおいとさんでした。


苦しいけれど、よろこび多い巡業でした。こうして、おいとさんの安来節は全国に広まっていったのでした。

渡部お糸の名前は現在、四代目 渡部お糸さんに受け継がれています。
今では、安来節は全国的にも有名になりました。

しかし、初代の魂はしっかりと受け継がれています。


どこに行っても故郷の桜の景色をわすれたことはありません。
 
今では、国内のみならず、世界中に安来節を広めるため、海外公演に飛び回っているおいとさんでした。

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